1981年
1981 LINE UP
NAO(Vo)、原(G)、中里(G)、OZ(B)、塚原(Dr)彼らが前年に発表したアルバム「British Steel」の1曲を冠にしたバンドが日本で産声を上げる。
それが、今ではJapanese thrashシーンの最重要位置に君臨するバンド『UNITED』である
1981~:バンド創成期
1983
1984 Live
1985 Live
当時のMETALバンドとしては珍しく、このEPはパンク専門のレーベ『HOLD UP』からリリースされており当時のUNITEDの立ち位置が独特のものだった事が伺える。 1986年には同レーベルから発売されたコンピレーション・アルバム「DEVIL MUST BE DRIVEN OUT WITH DEVIL」に参加。PUNKとMETALの橋渡し的なこのアルバムには後にX japanのメンバーになる故hideが率いるSAVER TIGERも参加していた。
同アルバム発売直後にボーカルのNAOが脱退。後任に古井義明が加入する。
1985
1986~:バンドスタイルの確立へ
1986
1986 Live
1987
1987 Live
1987年にはギタリストが中里から古澤”Gun”巌に交代するも勢いが衰える事は無かった。
1988~:新たなる血と共に
1988
そんな長い沈黙からUNITEDを救ったのは、この後10年に渡ってバンドの屋台骨を支える事になるドラマーの内野裕一と元DEMENTIAのギタリストである吉田"HALLY"良文の加入である。新しい血を得たUNITEDは演奏力、ライブパフォーマンス共に格段の進歩をとげる。
1989年になると以前にも増して活発な活動をおこない数々のコンピレーションアルバム/ビデオに積極的に参加する。 また、この頃バンドとしては初のログツアーでもある「WIPE OUT THE WIMPS」TOURをEMPERORと行い大成功を収める。
同年後半には「DEMO!89」のレコーディングに着手し当時ではデモテープは販売してバンドの資金源にするのが通常だったのに対し「DEMO'89」は無料配布という形がとられた。最終的には国内にて4000本、海外で300本もの数が配布され、デモテープとは言えその高い完成度からUNITEDの知名度を更に高める結果になった。
1990~:不動の弦楽器隊完成
1990
そして結成9年目にして1st album「BLOODY BUT UNBOWED」をHOWLING BULL RECORDの第一弾アーティストとしてリリース。 確かな技術に裏打ちされた演奏と高い完成度の楽曲は各方面から支持される。
UNITED with LAAZ ROCKIT
1991年になるとOUTRAGEとともに日本のTHRASH METALバンドにスポットを当てたイベント『METALLIZATION』を開催。 このイベントは結果的にシーンの底上げの効果をもたらす事になる。
1992年に入り1986年に発表した7インチEP「BEAST DOMINATE」を再レコーディングしBay City RollersとウルトラQのテーマ曲のカバーを追加して「Beast Dominates '92」としてリリース。
同年、半年も空けずに2nd Album「HUMAN ZOO」をリリース。 バンド演奏に拘ったこの作品は、ほぼ一発録りと言う形が取られバンドとしての演奏力の高さをさらに誇示する事になった。
1993年にはEXODUSを招き『METALLIZATION』を再度開催。
1992 |
1993 |
1994~:そしてメジャーへ
1995
年末には翌年のアルバムの発売に先立ってシングルCD無料配布ギグをおこない新宿LOFTをソールドアウトさせる。
1995年に入りUNITEDの周辺は激動する、まずはRainbowやBlackmore's Night、Deep Purpleらの作品を手掛けてきたPat Reaganをミキシングに起用し3rd Album 「N.O.I.Q」をリリース。 更にHOWLING BULL RECORD時代の作品から選曲したBest Album「BEAT RERA TRUCKS FROM UNDERGROUND」を立て続けにリリースした。
N.O.I.Q Recrding
with Rick Sales
with Machinehead
FOUNDATIONS FORUM
毎年LAで行われていた、いわばバンド見本市のようなイベント。ここからKORNなども巣立った。この年の出演バンドはMOTOR HEAD、TESTAMENT、PRO PAIN STOCK MOJO等々ともかく30バンドくらいが出演した。UNITEDとして初の海外でのライブであった。多くの有名ミュージシャンと交流を交わした。「METAL BLADE RECORD」とはこの会場でエキシビジョンの一つとして契約書にサインを交わした。(横山)だが、順風満帆の様に見えていたUNITEDの活動も"N.O.I.Q" 制作時期から起こったボーカルの古井と他のメンバー間との確執が表面化し、遂には古井がバンドから離脱するという結末を迎える。
1996~:迷走
1996
RELOAD Recording
バンドは早速NEWアルバムの制作に取りかかる。 夏にはLAに渡りエンジニアにMACHINE HEADやKREATORを手がけたVincent Wojnoを迎え『Hollywood Sound Recorders』にてレコーディングが開始された。
1997
1997年に入り4th Album 『Reload』をリリース。 わずか2ヶ月後に新曲2曲と過去の3曲を再レコーディングしたmini album『Burst』をリリース。
1998年に入ると今回はVincent Wojnoをプロデューサーとして迎え新作のレコーディングに突入する。
1998
4月に5th Album「Distorted Vision」をリリース。 前作にも増して重くグルーブ中心の楽曲が集められた本作は物議を醸し出した。
その後、当時としてな画期的だったライブイベント「LIVE UNDEAD」に参加する。引き続きツアーに突入したバンドは各地にてパフォーマンスを行うがメンバー間の意見の相違は埋めがたい溝になり、遂には1988年12月にはドラマーの内野が脱退してしまう。
LIVE UNDEAD
SLAYERがシークレット来日をして行われたLIVE。出演バンドはHELLCHILD, UP HOLD, PULLING TEETH, COCOBAT, UNITED, CHEMICAL WARFARE。CHEMICAL WARFAREはSLAYERのシークレットバンドネーム。チケットが安価だった事も手伝って赤坂BLIZEは瞬時にしてSOLD OUTした。この日はSLAYER目当てはもちろん、イベント自体を楽しもうとする観客が多く、どのバンドのライブも大盛況だった。当日SLAYERの機材が出演ギリギリまで届かず。リハ-サルも無しにも関わらずSLAYERは壮絶なライブを披露した。(横山)1999~:再生に向かって
1999
そして再生を目指してメンバーは新人の中村雄介を新しいドラマーとして迎え入れる。 次回作のための作曲作業が納得のいくまで何度も繰り返される中、バンドはS.O.D.、Sick Of It All、Testamentなどのサポートアクトとしてパフォーマンスを行い新人である中村の為のスキルアップも計られた。 9月にはHowling Bull Americaより「Distorted Vision」も北米でリリースされた。
2000
しかし全作業が終了して後はリリースを待つのみとなったある日、稲津が『キリがいいんで…辞めたいんですけど』と言う言葉と共に脱退表明をする。 これに激怒したメンバーは2ヶ月後に迫った発売予定を無期延期とし、新たなシンガーを迎え入れてヴォーカルトラックを録り直す事を決意。 そして10月に元DEATH FILEの湯浅がUNITEDに接触。オーディションにより正式加入が決定する。
2001~:復活、獣の声を持つ男
2001
2002
POWER GERMANYS
その後、バンドは新作のレコーディングに突入する。順調にスケジュールが進む中、ボーカル録音の時に湯浅がプレッシャーからいきなり失踪をする。
2003
2004
2003年に入りThe Hauntedのサポートアクトを努め、『Hell Breaks Loose Tour 2003』を開催。Wheel Of Doom、Defameと共に各地を廻る。 12月にはドラムの中村が不祥事をおこし解雇されるが、翌年4月に新ドラマーとしてAKIRAの加入がアナウンスされると、バンドは間髪入れずに『Hell Breaks Loose Tour 2004』を開催。YOUTHQUAKE、Abubacaと各地を廻る。9月にはEXODUS、COCOBATと共に『RETURN OF THE CRUNCH HEADS TOUR』を行う。 12月になるとボーカルの湯浅から父の事業を助ける為に仕事に専念したいという申し出がなされる。度重なるミーティングを行うが湯浅の意志は固く、メンバーも彼の気持ちを理解し申し出を受け入れる事になる。こうして獣の声をもつ男は惜しまれつつUNITEDから去っていったのである。
2005~:飛躍、三つ編みの貴公子
2005
12月に入りMETAL BLADE TOUR IN JAPAN』に参加。Impious、The Black Dahlia Murderと共演する。UNITEDはアルバム発売前にも関わらず好リアクションを受ける。その後 8th album「NINE」をリリース。
2006年に入るとUNITEDは『Genocide Nine Tour '06』と題して4ヶ月かけて全国36カ所を廻るツアーを行う。 ツアーファイナルは渋谷クアトロにて迎える。METALには珍しい三つ編みヘアーの独特のNOBのルックスと楽しいライブ、更にはアルバムの内容の充実度も手伝ってツアーは軒並み盛況だった。 その為バンドは再度『Genocide Again Tour '06』と称して6月からツアーに出る。このツアーにはこの年から開催がスタートした『LOUD PARK'06』、新木場コーストで行われた『Independence-D』、韓国インチョンでの大規模フェスの出演も含まれており、もはや年末の恒例行事となっている渋谷CYCLONEのライブまで全36公演が行われた。
2008 THE SYSTEM OF TERROR vol.2
こうしてNOBは12月にバンドから離脱した。
2009~:UNITED初の外国人ボーカリスト
2009
大谷は早速KEN-SHINにメールを送る。KEN-SHINは2008年まで日本に在住していたが大学院修業とともに母国であるクェートに帰国していた。2ヶ月程待ってもKEN-SHINからは何の音沙汰も無く決断を迫られたバンドは結局はオーディションを開始する。 そしてNOBが離脱してから8ヶ月が経った頃、UNITEDは新ボーカル候補を3名に絞り最終選考を行っていた。 するとある日、大谷の電話が鳴った。何とKEN-SHINからの電話だった。KEN-SHINは大谷が送ったメールのアドレスは日本に住んでた時のものでクェートに住んでいる今は使用してない事、自分がUNITEDでどれだけ歌いたいかを熱く語った。果たしてKEN-SHINはその一週間後にはオーディションを受ける為にスタジオにやって来たのだ。
PAUL DI'ANNO 30th ANNIVERSARY
JAPAN TOUR 2010
2010年に入り新しいアルバムに向けての作曲作業を開始する。今まで作曲された曲は全て見直されKEN-SHINの為に新たに曲が書き下ろされた。
平行して行われたライブ活動の度にKEN-SHINはクェートから20時間以上かけて来日した。
TONE RIVER JAM'10
特に4月に出演した『10th Anniversary Subciety A.V.E.S.T project』ではそれが顕著で、共演バンドがcoldrain、EGG BRAIN、Pay money To my Pain、RIZE、10FEETとアウェイな環境にも関わらず彼は堂々としたライブを披露し観客を魅了した。 10月にはレコーディングに突入。その傍らで楽器隊の4人は元IRON MAIDENのPaul Di’annoのバックバンドとして共演。演奏力の高さはPaul 本人からもお墨付きを貰う。
"Tear Of Illusions" release party
9月にはUNITEDのリリースしたほぼ全ての音源と未発表テイクを集めたCD12枚組のBOX SET「UNITED 30th ANNIVERSARY COMPLETE BOX 」を限定500セットでリリース。
11月には埼玉スーパーアリーナでおこなわれた『LOUD PARK'11』に出演。
12月には歴代のメンバーが出演し年代を追ってUNITEDの歴史を振り返るライブ『The Final』をおこなった。
2012年12月にはイギリスのONSLAUGHT, MPIRE OF EVIL と共に『JAPANESE ASSAULT Vol.1」と銘打ってツアーをおこなう。
しかしこのツアー後にバンドへの考え方の違いからKEN-SHINを解雇
2013~:復帰
2000年から2004年まで在籍し"INFECTIOUS HAZARD" "CORE"の作品を残した湯浅正俊が復帰した。